過労 休職 復職の心得

過労で倒れ、休職、復職した30代SEの場合

30代SEの私が過労で倒れ、休職し、復職して働き方を変えるまで

こんにちは、管理人のJです。

このベージでは、私がこの1年半で経験したことの概要をご紹介させてください。

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過労で倒れて休職に入るまで

IT業界で8年間がんばってきた

私は30代前半の男性です。東京の郊外で、妻と子供と暮らしています。

仕事はIT業界。いわゆるSEです。ソフトウェア関連のコンサルティングと開発を、新卒からずっと続けてきました。

それから8年間、バリキャリ路線といいますか、仕事が生きがい、仕事一本でこれまで生きてきました。

激務なんてなんのその。仕事で成果を出すことでまわりから認められることが嬉しかったんです。

無理難題であってもなんとか工夫して乗り越えよう。人が無理というところに解決法を出すことこそ私の価値だ。

そんな思いから、残業もいとわずひたすらに仕事に打ち込んできました。

振りかかる仕事、帰れない日が続いた

しかし仕事をはじめて8年目。私の中の歯車が狂い始めたのは、とある開発プロジェクトに配属されたときからでした。

そのプロジェクトは超大規模なソフトウェア開発。クライアントは日本人なら名前知らない人はいないであろう超大企業。

業務で使うシステムを全面刷新するという大がかりな取り組みの一部分を、うちの会社が担当することとなりました。

私はその一部を任されました。もともと開発が遅れていたところに追加要員として派遣された形です。

当初は「私がなんとかしてやる」と鼻息荒く現場に参上したんですが・・・

 

迎え撃ってきたのは初日から何日も続く夜12時超えが当たり前の日々でした。

終電で帰れればラッキー。タクシー帰りは経費の関係でNGなので、終電がなくなったら近くのカプセルホテルで一晩過ごしてそのままオフィスへ。

ときにはホテルにすら行くことを許されず、オフィスの自席で突っ伏して寝る、仕事が終わらずそのまま朝まで突き抜ける、なんてことも日常茶飯事でした。

一番長くて2週間は家に帰らなかったことも。休日出勤は当たり前。

もともと進捗が遅れていたところを取り戻すため、私もチームも上司もひっきりなしに働いていたんです。

過労で倒れてしまった

そんな日々が4ヶ月は続いたときでした。

運よく家に帰れた翌朝、目が覚めると動けませんでした。

悲しくもないのに涙がこぼれ落ち、手は小さく震え、身体がとても重く感じる。

これまで経験したことのない倦怠感、頭の後ろが重い感じ、そしてこれまでエイヤで簡単に振り切ってきた感情が私を支配しました。

「仕事、行きたくない」

結局その日は会社を休ませてもらいました。

心療内科へ

その日、私は妻のすすめで心療内科を受診しました。

診察は不安神経症と睡眠障害。

医師いわく、うつ病の一歩手前だった、いまあなたを診察できたのはラッキーだった、ということ。

ギリギリのところで心の病にならずに済んだのが、不幸中の幸いでした。

しかし過労状態で仕事がままならない状態であることは変わらず。

会社の人に連絡を取り、体調が戻るまでしばらく休ませてほしい旨、伝えました。

おそらく、私がプロジェクトマネージャーのような管理職でなかったり、その時たまたま自分しかできない仕事を抱えていなかったせいでしょう。

休みは承認され、土日を含めて3日間、休養することとなったのですが・・・

過労状態からすぐには回復はできませんでした。

襲いくる倦怠感、重たい頭、動こうと思っても動かない身体・・・

はじめのうちは1日のほとんどを寝て過ごさないといけない日が続きました。

結局3日の休養のみで復調できなかったため、ふたたび心療内科を受信し、診断書をもらいました。

そして休職へ

その後、プロジェクトの責任者や会社と連絡を取り、傷病休職に突入しました。

人生初めての休職突入で正直迷いました。

しかし、そもそも過労状態で判断力が鈍っている自分より、医師や妻の意見のほうが正しいだろうと思い、休職することに決めたのでした。

休職中の過ごし方

人生初の休職。過労状態で過ごす、長期の療養。

初めてのことで右み左もわからないまま、ただ自分の身体をいたわるだけの日々。

家にいるのに、妻や子供の相手もロクにできず、外に連れ出すこともできず、逆に妻に家事や育児をすべて任せなければならない状態。

これまで「仕事は仕事、家庭は家庭」「家にいるときは家族のために時間を使う」と心に決めて生きてきました。

しかしそれが突然「自分の回復を第一に」とまわりに言われながら、妻や家族に負担をかけながら過ごすことになりました。

「家族を支え引っ張っていく存在であるはずの自分がこんなので良いのだろうか?」

「妻や子供にとって、自分は必要な存在なのか?」

そんなとき、一番の心の支えになってくれたのは、妻でした。

私が「自分は邪魔者」と感じ、葛藤していることを察知した彼女は、私を支えるべく獅子奮迅の立ち回りをしてくれたのです。

復職して元の生活を取り戻した今も、妻に心から感謝しています。まさに「健やかなる時も、病める時も」を感じた期間でした。

休職は自分のみでなく関係者全員に影響を及ぼします。休職中は体調優先とはいえ、考えるべきことは非常に多いといえます。

私が休職期間中に考えたことを全部、次のページにまとめました。

10ヶ月の休職を経て復職

その後10ヶ月の休職期間を経て無事復職し、今に至ります。

ただ復職するといっても、そこには幾つかクリアすべきステップがありました。

過労で倒れて療養中というのは、言わばレベル1に戻った状態。

ひとりのビジネスパーソンとして前線で戦っていたときのレベルまで、一朝一夕で戻ることはありませんでした。

過労は少しずつ、心と身体を蝕みます。

回復するには同じくらい、いや、療養期間を含めるとはるかに長い時間が必要ですし、きちんとしたステップを踏んでいかなければいけません。

私が心理カウンセラーと練った段取りを次のページで紹介していきます。

完全復帰までの道のり

正直いって、復職してすぐは辛かったです。

職場でバリバリ仕事をこなしていた過去の自分がフラッシュバックしては、今の自分を見下してくる。

「こんなこともできないのか」

「なんて仕事が遅いんだ」

「他の同期はもっと上手く仕事してるぞ」

こう言っているのは紛れもなく過去の自分だったんですが、まるでまわりの人間が無言でそのようなプレッシャーをかけてくるように思えてくる。

復職直後だからこそソフトランディングが必要だと痛感しました。

 

結局、きちんと仕事に貢献できていると感じられたのは、復職から半年以上経ってからでした。

過労で倒れ、休職し、復職して調子が戻るまで、あわせて1年半くらいの期間が必要だった計算になります。

働き方を変えた

もし今の私が例のプロジェクトに配属されたあの日に戻れるとしたら。

そして、鼻息の荒かった自分に一言アドバイスをするとしたら。

きっとこう言うことでしょう。

 

働き方を変えろ

 

無理をしてでも仕事に打ち込む。なにがなんでもどうにかする。貢献する。がんばる。

姿勢としてはすばらしいですが、今となってはただの根性論、精神論にしか見えません。

HPは無限ではないし、回復のペースには限りがあります。

それでも戦い続けるとなると、最大HPを削ってでも気力・体力・精神力をひねり出すことになります。

そして一度で過労で倒れると、次に復帰するときは、最大HPがすり減った状態でふたたび戦場へと赴かなければならないんです。

過労のそもそもの原因は「ノー」を言えないことだと気づいた私は、会社でもきちんと「ノー」を言える状態を作れるようにしていきました。

 

そして今、私は同じ仕事をしながらも、全く違う働き方をしています。

精神論や根性論、自分の気力体力で戦車のように働く生活から脱却し、仕事にかける時間を減らしました。

また過労で倒れていた期間にガクッと収入が減った事実を目の当たりにしたことを受け、収入を勤め先の会社のみに依存するのをやめました。

今回の過労・休職・復職で、家族を支えるたった一本の収入の柱が自分の心身の健康が損なわれるだけでいとも簡単に折れることを痛いほど学んだからです。

夫として、親として、なんでもないけど何よりも重要な、「家族を食わせ、普通の生活を送ってもらう」という責任を果たしたい。自分がどんな状態になったとしても。

そうして私は、収入源を分散化するという働き方へ舵を切り、より大きな視点からの収入の安定化、リスクヘッジを考えるようになったのです。

自分の人生を決めるのは自分だ

 

働き方を変えることを通じ、私はより自分の目指すライフスタイルを意識するようになりました。

会社に収入を依存していたがゆえに思考がや行動が縛られていた過去の私はここにはいません。

自分の人生を決めるのは自分。理想のライフスタイルを目指すのは自分。

今の私にとって、仕事は自分のライフスタイルの一部分でしかなくなりました。

人生でやりたいことはなにか。そのためにどう生きるのか。そのために仕事をどう使うのか。

より大きな視点で、自分の生き方を見直してみませんか?

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

このサイトには、私が1年半で得た学びをできる限り詰めこみました。

少しでもお役に立てたなら幸いです。

管理人J

 

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